備忘録

哲学、文学、その他雑記。学習用。

精神分析入門 第二章 夢②

第7講

夢の要素は本来的なものではなく、他のある者の代理物という見解がある。代理物とはその人の心の中にそれについての知識が存在しているはずのあるものの代理物という意味。そういう要素についての自由連想によって別の代理物を浮かびあがらせ、隠れているものを目指す。

夢解釈の課題はこの無意識的なものを発見することにある。

第1に一見して夢が持っているような意味は無視する。それは無意識的なものではないから。

第2に夢の解釈の仕事は表象をよびおこすことだけにとどめる。

第3は求められている無意識的なものがおのずから姿をだすまで、じっと待つ。

覚えている夢は歪められた代理物であり、要素自体にあまりとらわれてはいけない。

夢の解釈の仕事は抵抗にさからって遂行される。つよくおさえつけたいという着想こそ例外なく無意識的なものを発見する上で決定的な意味を持つ。

二つの熟語の導入。

夢の物語るものを夢の顕在内容。

隠されているものを潜在思想。

そして一つの顕在要素がいつも一つの潜在要素に置き換えられる訳ではない。ある顕在要素は複数の潜在要素を代表し、また逆にある潜在要素は複数の顕在要素によって置き換えられる。

これは両群間の集団関係であるに相違ない。

第8講 小児の夢

日中体験に対する反応。願望成就からの心的刺激。眠りの守護者といえる。

第9講 夢の検閲

・夢の歪曲は何に起因しているのか。

・歪曲がどういう役割を果たしているのか

顕在夢に欠落部がある場合は夢の検閲のために生じたもの。

夢の思想中の、この中心的要素は顕在夢に入っていない。アクセントの移動内容諸要素の編成変えによって顕在夢は夢の潜在思想とは似ても似つかないものとなる。

材料の脱漏、変容、編成変え、これが夢の検閲の働きであり、歪曲の手段となる。

解釈に際して現れる抵抗(潜在夢、無意識の要素へ向かい際の)は、夢の検閲が対象化されたものにすぎない。

検閲の力は夢の歪曲を引き起こすだけで消耗してしまい、その歪曲を保持しようとする意図をもって存続する。

検閲する側の意向は目覚めているときの判断によって承認される意向であり、夢を見た人がこれこそ自分の考えだと感じ取っているような意向。

検閲が加える意向は倫理的な束縛から解放された自我、リビドーは禁ぜられた対象を好む。近親相姦、憎悪等もこれに入る。

しかしこれらの願望とは反対のものが心の中にあることを生活活動によってわれわれは証明する事もある。

無意識は、新しい一つの意味を持つ。

その時、一時的に、とかいうことは無意識の本質から消え去る。無意識的なものとはたんにその時潜在的であるという意味だけでなく、持続的に無意識的であることを意味する。

第10講 夢の象徴的表現

夢のある要素とその翻訳(意味)との間に存在する関係を象徴関係とよぶ。

象徴の一連のものにうちに、いったいどこに比較基準を求めるかという象徴もある。

象徴と仄めかしによる表現の間の限界ははっきりしておらず、象徴関係は特殊な比較対照であり明らかにされていない。

第11講 夢の作業

夢の作業が行う第1の作業は圧縮。顕在夢は潜在無よりも内容に乏しく、つまり省略を加えられた潜在夢の一種の翻訳である。

この関係は絶対に逆にならない。

個々の物品や場所が潜在無の強調しているものを互いに共有するという条件をみたしているときに、混成物が作られる。この共通なものを核とする新しい一時的概念形成ともいうべきものがある。

錯誤行為における機知の技巧は圧縮の技巧。

夢の作業では二つの違った観念を区別しようとせず、あいまいな言葉を探し、その言葉のうちに二つの観念を圧縮しようとする。

圧縮の理由は機械的、経済的な契機に帰せしめられるよう。

第2の作業は移動

それは夢の検閲の仕業である。仄めかしによって代理される。心的なアクセントが重要なものから重要でないものに移っていく結果、夢の中心部も異様な外観を呈するようになる。

 第3の作業は思想を視覚映像に翻訳すること。しかし全部ではない。また、視覚像は観念が翻訳される唯一の形式でもない。夢の個々の要素に対しては造形的な言語表現があることは周知。

夢の作業では具体的に困難な姦通や破綻、を例えば脚部骨折で代理することで我慢するという事になる。

「なぜ、だから、しかし」等の論理的関係を示す品詞を図解する場合、補助手段がない。それゆえ、テキスト中のこれらの品詞は絵に翻訳される際に失われてしまう。

おなじように、夢の作業によって夢思想の内容も事物と行動という原料に分解されてしまう。

もしそれ自体としては図解できないある種の関係を、少しでも精密な絵にして暗示できる可能性があるなら。

そのように夢の顕在思想の内容を顕在夢の形態上の特異性、明瞭度や不明瞭度の度合いとか、数個の部分への分割などによっ表現する。

一つの夢が分解されてできる部分夢の数、潜在夢の中の主題(思想)の数と一致する。

 

語源の対立概念について。後代になって二つの意味をあらわす表記ができた。

言葉の逆転は夢の作業のなかでもある。意味の逆転。代理によって。

夢の歪曲は表現の自由から利益を受けており太古的とよんでもよい。

 

圧縮、移動、造形的表現。夢全体に二次的加工をほどこすこと。それ以上の事は夢の作業ではできない。

 

精神分析入門 第二章 夢① 

神経症研究、精神分析に於いて夢は分析対象となりうる。

第1章の錯誤行為と同様に軽視されているが、錯誤行為は何か言い違いするだけの意図を明確に論証することができるように夢の分析、解釈にも価値があるということを説明しなければならない。

まず第1に我々の見る一切の夢に共通な第1の点は、夢を見るときには我々は眠っているという事実。眠っているときには外界について何も知ろうとは思わないし、関心は外界から引き上げられている状態になっている。人生の3分の1の間この眠っている状態を温かく穏やかで刺激のない母胎にいる状態だと比喩するならば、この間に夢を見るということはむしろ歓迎されない附属物のようにみえる。つまり夢は覚醒時の心的活動の残滓であって、眠りを妨げるものである。

第2に、その刺激は主とし視覚像として体験され、感情が伴っていたり、思想がその中を貫いていたりする場合もある。このカオスな視覚像を言語に翻訳することは難しく、覚醒時の心的活動とは違った心的特殊性を持つ。

このような夢の多様性を解明するために、この多様性は眠りの不完全さの様々な中間段階に対応するものだと仮定する事ができるかもしれない。

実験心理学では眠っている間に与えられた刺激が夢に現れる事を証明している。たとえば目覚まし時計の音が、各人の中で様々なイメージと音を伴って現れてくる。

しかしこの現象は頻繁に起こりうるものなのか、確証を得るには至らず、一部分を説明できるにとどまり反応としての夢すべてを証明することはできない。

しかし肉体的なつまり内的な刺激も同じ役割をすることがあることを承認しなければならない。

夢は、単に刺激を再現するものではなく、これを加工し、刺激をほのめかし、ある連関の中にはめこみ、その刺激を他の何者かで代理する。

次に夢の相違点を見る。

白日夢、(空想、妄想)がヒントになるかもしれない。白日夢においては人が自分が空想していることをしっており、見ているのではなく考えている状態。

白日夢は野心、性愛欲など生活事情の変化に応じて変わっていく事があり、いわば時と共に歩み、時によって新しい状況の影響を立証する「時の刻印」を受けるのみ。

ー第6講ー

夢は身体的現象ではなく、心的な現象であると仮定する。

夢を見た人はその夢が何を意味しているのか知っている、ただ自分が夢の意味を知っているという事を知らないのであり、そのために分が知らないと信じているだけ。

人は自分が知っていることを全く知らずにいるというような事は注目すべき、着想外の事実で、この事実を命名するならば「形容矛盾」になる。

この事実の証明は催眠現象の領域において与えられた。催眠臨床の際、彼は最初知らないと言い張り続けた。しかし要求すると次第に、そして最後には完全に思い出した。彼は知らないと信じていただけだった。

催眠状態と睡眠状態との間には親近関係がある。催眠状態の眠りは、催眠法を書ける人との間に感情的結合関係が保たれている。これは胎児の眠りと似ている。

夢のある要素について語らせる時、出発点となる表象をしっかりと念頭に置いたうえで自由な連想が必要で、熟考を排除し、たとえば固有名詞や数字などを思いのままに連想させるような方法が最も強い証明力を持つ。

そしてそれを思いつくときは身近な事情、特性、状況などの強い制約が働いている。

まったく自由に頭に浮かぶような思いつきもしかるべき理由があって浮かんできており、それはいつも同じくたった一つの制約、発端となった表象による制約(コンプレックス)を受けている。そしてその瞬間は無意識である。

これはユング等が連想実験において解明している。この連想実験では反応の決定要因の一つ、刺激語は任意に選ぶことができる。刺激語によってよびさまされた無数のコンプレックスを媒介する。それは未知の源泉から発しており、コンプレックスの後裔となりうる。