哲学史①
哲学史の言葉の前半の哲学とはなんであるかというに、特殊の科学が存在のある領域を対象とするのに対して、「存在である限りの存在」を全般的に扱う科学、すなわち存在論ontologiaに他ならない。
個々の特殊専門科学が主として実際の目的に奉仕する経験emperia、技術techne,から出発するのに対し、哲学は知恵sophia、または認識epistemeとして知ること自体のために知ろうとする絶対知愛philosopfhiaに対応するものである。
「利を忘れずしては真の利を得ず」とか「国を忘るる学問に非ずば、真に国を利する能わず」とかの逆説の流れは
利用価値の高い応用化学→理論科学→いわば哲学による理論化を経て初めてその歪められない真理によって規制されたものであるの流れ。
アリストテレス「形而上学」の冒頭第一巻に試みた最初の哲学史というべきものは、のちに続く、形而上学体系形成に不可欠の導入であるとともに、彼の体系理論の特性に即して試みた学説展開の追及であるといえる。
出来事Geschehen→Geschichten
出来事の記述Historie
歴史は物質とか生物の自然の実態的な弁証法的展開に関して成立するもの。
問題はこの各領域のいずれのものが実態的変化の主題となるかに従って、歴史構造は極めて異なった変容を示すので、これが弁証法論理が「存在の論理」として各存在領域に一義的に妥当せず、ただ類似的に妥当するといわれる所以。
経済史に於いて、封建的生産様式は資本主義のもとにその痕跡を残し得ても決して本来の意味で残存しうる訳ではなく、本質的に封建主義と資本主義は両立せず、必ず前者が滅失することによって後者が定立する不倶戴天のものである。
これに反して精神史の事柄に移ると発展のおける連続性は非常に重要な役割を演ずるようになり、過去の定立は常に現在の総合の中に伝統として本来的に残存する。
伝統はむしろ基底fundamentumとして、進歩的なものがそれへの反動reactioとして基底されるような主軸的な役割を演ずる。
たとえば、自然科学、ことに物理学においてニュートン力学は相対性理論の出発点であり、その中に包括されるので新理論は過去の理論を無駄にせず、これを中に包括する積集的形態をとるのである。
紀元前7世紀イオニア学ーーー世界初の哲学
紀元前6世紀タレスーー万物の本源は水、哲学の祖。
気象学に通じておりミスが空中にも無機的自然に偏在しており、最も変化に富んでいることから言ったと解される。
自然を偶性的な様態に対する本質的な基体、減少に対する実態といった存在論的な概念によって、いわば物理的に説明を始めた点で哲学の祖。
ギリシャ人は自ら運動するものを生命と考えた。