備忘録

哲学、文学、その他雑記。学習用。

話が脱線しすぎた。脱線もいいとこ。ねじまき鳥の話なんだけど。ってかなんでこの文章、舞城王太郎みたいになってんのこれ。俺別にそんな影響うけてないんだけど。いや煙か土か食い物は面白かったけどさ。福井人が突破口開こうとするとこんな感じになるのか?また脱線した。

改行した。偉い。←これでしょ。こういうのがでしょ。もう文章にプログラムコード入れたり、矢印いれたり以上にでかいサイズの文字にしたりとかさ。ポストモダンな文学は全部高橋源一郎が達成してるからそれ以上はもういらないんだよ。普通に書け。バカ。

てことでねじまき鳥について。奥さんが出て行ったと。理由はわからないと。引きこもると。でも負けないぞと。でも弱っていく自分がいると。本当にきつい。これはきつい。

初めて読んだときはそんな事あんましらんかったからよくわからんかったけど。まぁそうなんだろうなぁと。女子中学生が大人の恋愛にあこがれるような。うわ。この比喩表現最低のセンスや。しかも正しくないし。実際憧れてもいないし。

読んだ時恋愛部分とセックス部分はうざくてうざくてしょうがなかったけど、満州行ってボリスと出会った間之宮中尉との凄惨な光景に圧倒されたわけで。てかあそこは誰が読んでも面白いと勝手に思っているけども。

問題はそこじゃなくて、あれはとってくっつけたような。いやなんかこうこういう繋がりが暗喩として繋がっていてみたいな解釈はよくわからんけど。

とにかくひきこもって貯金を食いつぶして奥さんを待つっていうのはまぁ無理で。

まぁナツメグみたいなあんなのを登場させてないと話が進展しないし、満州で生まれてみたいに繋げてないとなんか引っかかるものがあるけど。そこはちょっとご都合主義だけども。当時の連載小説なんだからそれは全然問題なし。

あそこからどう考えてもひとりの力で奥さんのもとにはたどり着ける訳がないから。

そういう意味では主人公にやはり特殊な能力を持って、物事を解決していく。がいろんな女性が出てきて振り回されるというスタンスは今のあれにつながってんのかな。

ってそこは評論家にでもしゃべらせとけばいいけど。

ってこの物言いもよくきくよねー。それは評論家でも批評家にでも解釈するのはご自由にどうぞというやつです。どうでもいいわ。

まぁそれにしても俺だ。

俺の夢に悪夢で浮気。尻軽。離れていく。出ていく。

ような見せるというのは時期が時期というのもあるが、これについて苦しんだいや苦しむというか死ぬ一歩手前みたいになった有名人にしろ一般人にしろいっぱいいるわけで(女性じゃないよ男性で)その長年勤めた会社を首になってとかありきたりじゃなくて単純にもう好きじゃなくなったとか。

いやそれならまだ、まだ、まだ、まだぎりぎり納得できるんだけど。それでも半端じゃないショックだけど。その後才能のある人はとんでもない量の失恋作品を残すんだろうけど。あれやめてくれますか。お願いします。

で。一番きついのは実際それをしたっていうのもあるがじゃなくて特に意味もなくというのが、そして去るのも意味もなくっていうのが何より一番きついわけで。

多分だけど女性はそういうことがあっても同じようにいやむしろ男性以上にきつくて死のうとしたりするんだろうけど、理由とか意味とかを男性ほど気にしないような気がする。

と言う事は自分のもとをなぜ去られたということがわかっているのか?興味がないのか?

他の女とか女ができたんだろとかそんな話はよく聞くけど、あぁ男は性欲があるから基本的に応じないといけない。という気負いがあるからかな。そのせいで他に行ったと、だったら最初は求められたのに他に行った。性的な対象と見られなくなったと考えるのか。それでたぶらかした女だと思い込み女の方に憎悪がいくと。

いやー無理がある推理だな。

でもここがわからないと、つまり現実のオカダトオル君は死ぬしかないわけだ。

井戸に潜ったところで何もわかるわけがない。

最高に面白い小説です。「ねじまき鳥クロニクル