備忘録

哲学、文学、その他雑記。学習用。

実際生活とヘンリー・ミラーと

ところで

「インターネットの世界では無限の情報があると感じているだけで実際は自分の頭の中で起こりうる出来事でしか検索はできない。それはどのwebサービスにもいえることであり、やはり外に出て何気ない言葉、それはほとんど意味のないものだったりするわけだけど、中には自分の身体中にクリーンヒットする事もあり、それこそが大事なインプットになって消化されアウトプットされる事が云々なんちゃらかんちゃら」

「大事なことは影響されすぎない事だよ。そんなものを素直に純朴に受け入れていったら何が何だか分からなくなるに決まっている。じゃあ一定の距離を取っているのがいいのか。それは自分に確信を持てている人だけだ。惑わされるな。頑固になったら今度は空気を読めない人なんちゃらかんちゃら」

 

なんちゃらかんちゃらだよ、なんじゃこら。だけども

 

それは体験しないとわからない事だしそれを体験するのは至難だし、そこでだ。体験した人のほんとうに細かいどういうか実際どうだったか、その人の考え、感想、意見じゃなくて感覚は信頼できる。というか信頼に値する事。

だからといってこれを最初からやっていてもだめなんだよね。はたからみたら中身のある人間に見えるし、見栄えもいい大人になる。いやそういう上昇志向的な人間なら別に文句もないけど、説教してくるから。いや関係ないんだって。向かうところがそもそも違うんだから。

それにしても自分はバカだったなぁ。その人の感覚を大事にする。それを人生経験と「言葉」に集約して捉えてしまっていたからなぁ。これに気づくまで遅かったなぁ。てか違うな。やっぱり仕事の人間関係ではないからだな。いや仕事の人間関係でもたまーにあるけどね。

文学やってようが芸術やってようが首つろうとしようが社会人経験は必須だね。

 

ヘンリー・ミラーの「南回帰線」これも大好きな小説だけど、主人公はどん底の状況で笑っている。笑っているのか。共感能力が低いがありえない程タフなのか。

こうかもしれない。自分に確信を持っているのか。

つまるところ処女作を読みたい。刊行されていないもの。つまりボツになったものだ。

それはミラー自身が言っている。自分は最初からすべてを書こうとした。それは失敗するに決まっている。事実失敗したと。

それはいわゆる徐々に一歩一歩とかではなく、そうしないとヘンリー・ミラーは書きたい事を書けないからだろう。

自分はミラーのその失敗だと思った小説、刊行に至らなかった小説を読みたい。そうでないとすべてが嘘っぱちになるわけだから。

 

そんなことはおいといてミラーの小説はお話しではない小説の中では群を抜いている。

あまりにも遠くを走りすぎている。

 

すごすぎます。おもしろすぎます「南回帰線」